岩村城と女城主2022年2月14日

第1弾  岩村城と女城主

織田信長、武田信玄、明智光秀らが登場する日本三大山城の岩村城を巡る悲劇のドラマをお楽しみください・・・

 

<第1章> 岩村城

その1 岩村の街

岐阜県恵那市岩村町はJR中央線の恵那駅から6駅、明智鉄道に揺られて着く岩村駅から広がる岩村城の城下町です。水に恵まれ田んぼに恵まれたこの地では古くから酒造りも行われてきました。

*岩村の街  風情のあるたたずまいで城下町らしい雰囲気が残ります

 

その2 岩村城

岐阜県恵那市の海抜721メートル(岩村町観光協会のガイドブックによると717メートル)の城山の山頂に本丸が築かれた、日本三大山城の一つ“岩村城”には悲劇のものがたりがあります。

岩村城は、1185年に源頼朝の重臣加藤影廉(かげかど)が美濃恵那郡遠山荘の地頭に任ぜられた際に築いたとも言われています。

時は移って1508年頃には遠山頼景(よりかげ)が岩村城を居城としていたそうです。そのひ孫と言われる遠山景任(かげとう)は織田信長に臣従し、信長の叔母で“絶世の美女”と語り継がれるおつやの方(修理婦人)を妻に迎えていましたので、甲斐の武田信玄から攻められました。1570年(元亀1年)には武田信玄の家臣秋山信友(のぶとも)が岩村城に攻め寄せました。その際は織田方の明智光秀らの援護でこれを撃退することが出来ました。

*尾張の織田信長とその家臣明智光秀 対するは 甲斐の武田信玄

 

ところが、遠山景任(かげとう)はその翌々年1572年8月に病死してしまいます。織田信長はまだ幼少であった五男(もしくは四男)の織田勝長(御坊丸)を遠山氏の養子に送り出しましたので、勝長に代わり未亡人のおつやの方が女城主として采配を振るいました。

*岩村醸造の日本酒 女城主

その翌年の1573年(天正1年)岩村城は再び武田軍の秋山信友に攻撃されます。女城主は織田信長に援軍を求めます。しかしこの頃、足利義昭の呼びかけにより浅井・朝倉・武田・本願寺らが信長討伐を計画していて、信長は大変苦しい時期を迎えている最中でした。7月には再挙兵した足利義昭と槇島城で戦い、8月には朝倉義景を攻撃して破った後、浅井久政・長政父子を攻撃して破ったりしており、とても岩村城まで駆けつけれるような状況ではありませんでした。

 

そんな絶望的な状況の中、岩村城を包囲した秋山信友は何と敵将である女城主に結婚を申し込んだのです。女城主は悩んだ末、城兵たちの命を守るため養子の織田勝長を跡継ぎにするという約束のもと結婚を受け入れ開城します。

(しかしその後、養子の勝長は人質として甲斐に送られてしまったのですが・・・)

もちろん信長はこれに激怒したとのことですが、叔母が幼い勝信を抱えて一人籠城を続けていたのに助けに行けなかった自分のふがいなさは考えなかったのでしょうか・・・

*藩主亭があった山麓の居館跡に表御門や太鼓櫓(たいこやぐら)などを復元

 

それから約2年後となる1575年(天正3年)11月、ようやく余力が出てきた信長は、長男織田信忠(のぶただ)を総大将とする大軍を派遣して岩村城奪還作戦を行いました。5カ月にわたる攻城戦の末、ついに岩村城側を降伏させました。降伏の条件は秋山信友らを助命するというものでしたが、信長はいつものように約束を破り 秋山信友と女城主らを処刑しました。

人々は城兵たちの命を助けるために「さかさ磔」にされ処刑された女城主を悼み、その名のついたお酒を造っているのです。

 

それでは、いっしょに岩村城に登ってみましょう・・・

*うっそうとした林の中を進んでいくと一の門跡や土岐門跡追手門跡が顔を出します

*この山城に攻め上るのは大変だなあ・・・と思わせる坂道を上り続てやっと標高721メートルの山頂部に着くと、突然ファンの間では有名な本丸の六段の石垣が姿を現します。この向こう側が岩村城の本丸になります。

*突然ですが、これらの石垣を楽しむための基礎知識を学んでおくと、同行者がへぇ~と驚きますよ・・・

 

この岩村城は別名「霧が城」とも呼ばれています。岩村城の城内には17の井戸があり水が豊富で、二度の籠城戦にも水不足はなかったと言われます。

「霧ヶ井」は殿さまの食事に利用され、日照りが続いても決して枯れることはなかったとのことです。この井戸に秘蔵していた蛇骨を投入すると霧が湧き出して山城を包み、敵の攻撃をはばんだという伝説があります。

城址内には現在も10の井戸が今でも水をたたえています。本丸にある「昇龍(のぼりりゅう)の井戸」です。

 

織田信長が甲斐の武田勝頼を滅ぼして、富士山を見ながら家康の領地を通って

安土城に帰る途中で、この岩村城に立ち寄っています。

女城主の怨念か、その80日後に本能寺の変で明智光秀に討たれてしまいます・・・

まさに本丸のこの地にあの織田信長公が立っていた、明智光秀が援軍としてここに立っていたんだと想いをはせると、城址に立った人なら誰にも複雑な感情が沸き上がってくることでしょう・・・

 

その女城主の酒を造り続けている岩村醸造さんをご紹介したいと思います。

岩村に行ってみたい方のために地図などを付けておきます。

ついでに「極楽」にも行けるかもしれませんね・・・